リバプール加入に近づいたと噂されながらも実現しなかった選手たち。
数年前にnoteで書いた記事『成立しそうでしなかった移籍』のリメイク版のようなものですが、長くなってしまうので3つ記事に分けて且つ短くまとめて紹介します。
その①はこちらから → リバプール加入に近づいた選手たち①
その②はこちらから → リバプール加入に近づいた選手たち②
クリント・デンプシー
元アメリカ代表/引退
2012年夏、デンプシー自身はフラムと合意したアストンヴィラに対してリバプール移籍しか望んでいないと伝えていたが、500万ポンドの要求に対してリバプールは300万ポンドしか提示しなかったとされる。
当時、リバプールは加入して1年程しか経過していなかったヘンダーソンをトレードでフラムに引き渡すことで減額を狙うも実現せず、ヘンダーソン自身はブレンダン・ロジャーズからフラム移籍の可能性を告げられた時はとても悲しい気持ちになったが、自身の価値を証明するために強くなれたとコメント。
『アンフィールドでのEL予選ハーツ戦を控えていた。ホテルでミーティングをしていたら監督が話をしたがっていると呼び出された。ブレンダン・ロジャーズにとっては、ただの会話に過ぎなかった。フラムへの移籍は望んでいなかったし、嫌だった。あの時はとても暗い気持ちになったが、逆境も挫折も必要だ。』
『立ち直ることで、彼らが間違っていると証明したくなり、より強くなれる。あの日以来、私の心には何かがあった。いずれ彼のチームに入れることを監督に証明する必要があった。彼のチーム、このフットボールクラブに入るためならどんなことでもするつもりだったし、彼らが間違っていることを証明するつもりだった。最終的に私は成し遂げた。』
ソース:Guardian/ Liverpool’s failure to sign Clint Dempsey shows financial constraints、Guardian/ Jordan Henderson: 'I was in a very dark place. It made me a lot stronger'
ロイク・レミー
元フランス代表/引退
2014年夏、QPRが設定した850万ポンドの契約解除条項をリヴァプールが行使し、アメリカでのプレシーズンツアーに合流するもメディカルチェック中に問題が発覚し破談
後日のレミーのコメントによれば、かつて抱えていた心臓の異常を不安視したリヴァプールが専門家に意見を求め、その専門家がプレーを続けられるか止めるべきか100%言い切れないと答えたことが最も大きな理由とされる。
『メディカルチェックは全て問題なく終わったが、リバプールは私の心臓が大丈夫であるとの保証を求めた。意見を求められた専門家がプレーを続けられるか止めるべきか言い切れないと言った。理解できなかったよ。私が来る前からリバプールは心臓の件を知っていたのにね。』
ソース:GOAL/ Remy reveals why Liverpool move fell through
シモン・サブローザ
元ポルトガル代表/引退
2005年夏、リバプールは最大1,200万ポンドとなるオファーを提示したが、当時所属していたベンフィカが要求を増額した若しくは単に許可をしなかったと2通りの報道がなされた。
のちのインタビューにて、代表合流中にリバプールからオファーが届いたことで呼び出された際、本人は移籍が実現するから呼び出されたのだと考えて当時ポルトガル代表を率いていたスコラーリ監督に交渉のために離脱する許可を求めたと明かしていた。
『私が考えていたのは、全てリバプールへの移籍についてだった。代表に合流していて、リバプールからオファーが届いたからオフィスに戻るようにと呼び出されたのを覚えている。ルイス・フェリペ・スコラーリは交渉に行く許可を与えてくれたが、オフィスに着いた時に言われたのは「不可能だ。リバプールに向かう飛行機に乗る許可は与えない。」ということだった。』
ソース:Liverpool Echo/ Benfica winger explains why he was denied Liverpool transfer after manager told him he could leave
ガブリエル・エインセ
元アルゼンチン代表/引退
2007年夏、当時マンチェスター・ユナイテッドに所属していたエインセはサー・アレックスからの信頼を感じられず、680万ポンドの契約解除条項を行使する意思を見せたリバプールへの移籍を希望したが、当時マンチェスター・ユナイテッドのCEOだったデイヴィッド・ギル氏は国内のライバルに加入しないことが移籍を認める条件だったと主張。
リバプールとエインセはマンチェスター・ユナイテッドからの書類にはそんな条件は含まれていないとして異議申し立てを行うもプレミアリーグの仲裁委員会に退けられ、結局レアル・マドリーに移籍したが、本人は全く納得できていないとのコメントを残した。
『私の戦いは、どのクラブとも交渉できる自由のためにある。ユナイテッドは、私がビッグクラブの1つに移籍することを望んでいなかった。しかし、このアンチ・リバプール条項は信じられないね。』
ソース:talk SPORT/ I was so angry Man United wouldn’t grant Liverpool transfer that I got lawyers involved
デレ・アリ
元イングランド代表/エバートン
MKドンズに所属していた2016年夏、当時リバプールを率いていたブレンダン・ロジャーズはリバプールファンとして知られていた彼の獲得を確信していたとコメントし、デレ・アリ本人も接触したことやジェラードがヒーローだったことを明かしている。
ブレンダン・ロジャーズ
『我々は、彼を獲得したと考えていた。MKドンズの監督が連れて来てくれて、私はデレ本人や彼の両親と話をした。ホテルで数時間ともに過ごしたが、彼はリバプールに来たがっていたよ。契約が成立したと思っていたが、トッテナムに行ってしまった。彼はそこでうまくプレーしていたね。』
デレ・アリ
『トッテナムに加入する前、まだMKドンズに所属していた時にリバプールと接触した。私のヒーローがジェラードだったと知っていてか、会いに行こうと言われたんだけど、もう彼は寝てしまっていた。次の日に試合があったから、理解できることだよ。』
ソース:ONE FOOTBALL/ HOW DELE ALLI ALMOST JOINED LIVERPOOL OVER TOTTENHAM
ネマニャ・ヴィディッチ
元セルビア代表/引退
マンチェスター・ユナイテッドで多くのタイトルを獲得し、キャプテンを務めることもあったヴィディッチだが、リオ・ファーディナンドのポッドキャストにて2005年12月の出来事を振り返った。
スパルタク・モスクワに所属していた当時、マンチェスター・ユナイテッドとともにリバプールからもアプローチを受けていたが、ラファ・ベニテスからは最初の接触から数週間に亘って折り返しの連絡がなく、その間にマンチェスター・ユナイテッドへの移籍が進展した。
『ユナイテッドなどのクラブとの最初の接触は2005年12月だった。リバプールも含まれていて、ラファ・ベニテスと話した。私の英語が拙かったから、妻のアナがほとんど話していたんだけどね。イングランドに来たいかとか色々聞かれて、全てが最高だった。その後、数週間は連絡が無かったんだ。』
『ファギーから連絡が来て、彼は「半年から1年間程、君を見ていた。プレーが気に入った。良い補強になる。加入したいか?」と言っていた。私がもちろんと答えたら、彼は万事解決だと言って、その1週間後にはもう私はマンチェスターにいた。』
ソース:Rio Ferdinand Presents FIVE/Vidic Exclusive: How I Signed For Man Utd | Partnership With Rio | Winning The Champions League
エドウィン・ファン・デル・サール
元オランダ代表/引退
先に紹介したヴィディッチとともにチャンピオンズリーグやプレミアリーグ3連覇など、マンチェスター・ユナイテッドに多くのタイトルをもたらしたゴールキーパー。
2019年に受けたドイツメディアのインタビューにてブンデスリーガからオファーはあったのか?と聞かれ、ユベントスに所属していた2001年夏にドルトムントとリバプールに移籍する可能性があったが、結局はフラム加入を選択したことを明かした。
『2つの選択肢があり、ドルトムントとリバプールに移籍することができた。でも、2つのクラブが契約に少し躊躇したことで、結局はフラムを選択した。』
ソース:t-online/Torhüterlegende: "Ich hätte nach Dortmund wechseln können"
フローラン・マルダ
元フランス代表/引退
2007年夏、当時所属していたリヨンを率いていたのは以前にリバプールを率いていたジェラール・ウリエであり、そのウリエに日頃からプレミアリーグを経験すべきと言われていたことや同氏がリバプールへの移籍を押し進めようとしたことを明かした。
但し、エッシェンやマケレレなどリヨンでともにプレーしていた選手やフランス代表選手が多くいたことからチェルシーの試合を観戦したこともあり、同クラブへの移籍を望んでいた。
『最初に関心を示したのはリバプールで、当時のリヨンの監督はリバプールを長く率いたジェラール・ウリエだった。関心を聞いて彼のオフィスに行った。面白かったよ。リバプールをとても愛していた彼はリック・パリー(当時リバプールCEO)に連絡をして、私の契約交渉を始めたんだ。本当に、本当に移籍に近づいた。』
『次のクラブはレアル・マドリーだったけど、本当に行きたかったのはチェルシーだった。エッシェンやマケレレなどを知っていたし、時々彼らと試合を観戦していたんだ。』
ソース:The Obi One Podcast/From Training Ground Fights to ‘Bullying’ Drogba | Malouda Reveals All | The Obi One Podcast Ep.4
マルセル・デサイー
元フランス代表/引退
ACミランでチャンピオンズリーグ優勝などを経験し、更にフランス代表としてワールドカップ制覇を経験した1998年夏、新たな挑戦のを望んでイングランドへの移籍を模索。
リバプールとチェルシーからオファーが届いたが、子供の生活を含むライフスタイルの違いなど家族と相談した結果としてチェルシーを選択した。
『1998年、良いオファーをくれたリバプール移籍に興味があった。でも、あの地域には子供たちのためのフランス語の学校が無かったし、ロンドンと比べた時のライフスタイルが問題になった。ライフスタイルがチェルシーを選んだ理由だね。』
ソース:Boyle Sports via talk SPORT/ I won the Champions League, wanted Liverpool transfer but my wife stopped me and joined Chelsea instead
ガレス・ベイル
元ウェールズ代表/引退
05/06シーズン、サウサンプトンアカデミーとボルトンアカデミーとの試合を観戦していたリバプールのスカウトの目的はデイヴィッド・マクゴールドリックの視察だったが、実際に目を引いたのはサウサンプトンのチームメイトだったガレス・ベイルであったと当時のスカウトチームの1人がコメント。
リバプールは、当時サウサンプトンにローン移籍していたダレン・ポッターとのトレードを提案するも、ポッターに加えて金銭を含めることを要求されたため実現せず。
『あのレフトバックは際立っていた。我々はリバプールに戻り、マクゴールドリックではなくベイルと呼ばれる16歳と契約すべきだと言った。その時はまだ誰も彼の話をしていなかったね。』
『サウサンプトンは納得できなかったようだ。ベイルはスカラシップ契約を得たばかりだった。ポッターは既にプロとして確立していたが、ベイルはまだ学ぶべきことが多い子供だったんだ。』
ソース:The Athletic/ Bale, Ronaldo, Terry, Fekir… the truth about the Liverpool transfers that never happened
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