リバプール加入に近づいたと噂されながらも実現しなかった選手たち。
数年前にnoteで書いた記事『成立しそうでしなかった移籍』のリメイク版のようなものですが、長くなってしまうので3つ記事に分けて且つ短くまとめて紹介します。
その①はこちらから → リバプール加入に近づいた選手たち①
ダニ・アウヴェス
元ブラジル代表/無所属(性的暴行の疑いにより収監中)
セビージャに所属していた2006年夏、ラファ・ベニテス率いるリバプールと合意に達したが、900万ポンドとされた移籍は土壇場で破談したと過去のインタビューにて明かしていた。
その後、リバプールはペナントに加えて同じポジションのアルベロアを獲得したが、ダニ・アウヴェス曰く破談となった理由は不明。
『リバプールとはほぼ合意していた。でも、どんな理由であれ、何故破談したのかは分からない。全ての交渉を自分で行っていた訳ではないからね。』
ソース:Four Four Two/In the mag: Gabriel Jesus! Alvaro Morata! Dani Alves One-on-One! 30 Greatest Premier League Strikers!
テディ・シェリンガム
元イングランド代表/引退
95/96シーズンにはファウラーと2人で55ゴールを記録したスタン・コリモアだが、96/97シーズンには2桁ゴールを記録したものの、そのファウラーとのコンビネーションが今ひとつに。
当時リバプールを率いていたロイ・エヴァンスはコリモアの退団と新たな相棒としてシェリンガム獲得を望み、本人とは個人的なやり取りで加入することで合意に達したが、役員会からの信頼が低下していたエヴァンスの要求は『シェリンガムは歳を取りすぎている(当時31歳)』として却下された。
結局はマンチェスター・ユナイテッドに移籍してプレミアリーグ3連覇に貢献したほか、3冠(プレミアリーグ、FAカップ、チャンピオンズリーグ)を達成した98/99シーズンのCL決勝バイエルン戦では90+1分に同点ゴールに加え、90+3分のスールシャールの決勝ゴールのきっかけを作った。
ソース:The Athletic/Liverpool's Spice Boys
ジョーイ・バートン
元イングランド代表/引退
マンチェスター・シティに所属していた2004年、当時リバプールを率いていたジェラール・ウリエがジェラードと共に中盤に並べる選手として獲得を望んだ。
しかし、同年夏に監督がウリエからラファ・ベニテスに代わると、リバプールはレアル・ソシエダに所属していたシャビ・アロンソの獲得に動き出したことで話は流れた。
のちに、バートン本人は自伝にて『2004年、スティーヴン・ジェラードが私を獲得するよう働きかけたと聞いている。メルウッドでジェラール・ウリエに会い、全てが大筋で合意していた。取引は完了に近づいたが、彼が解任された後に再び話題になることはなかった。』と書いている。
ソース:Dailypost/How Joey Barton came close to signing at Liverpool FC, who opted for Xabi Alonso instead
アレックス・テイシェイラ
元U-20ブラジル代表/ヴァスコ・ダ・ガマ
2015年10月にリバプールの監督に就任したクロップは、リバプールで迎える最初の移籍市場での最初の大型補強選手として獲得を望んだ。
2016年1月、リバプールは当時所属していたシャフタールに正式オファーを提示したものの拒否された、シャフタールが要求する3,500万ポンドを高すぎると判断しリバプールが支払いを拒んだという2通りの報道があったが、 いずれにせよ実現せず。
当時、テイシェイラ自身は完全に移籍に乗り気で、『何故かは分からないがリバプールからの正式オファーをチームが断った。』、『代理人はまだ移籍を実現させるためにできる限りのことをしてくれている。』、『コウチーニョとは10歳から一緒にプレーしていたんだ。』と話していた。
ソース:The Athletic/When Klopp wanted to make Alex Teixeira his first major signing at Liverpool
ミカエル・ラウドルップ
元デンマーク代表/引退
1983年夏、当時ブレンビーに所属していたラウドルップはずっとファンであったリバプールからオファーを受け、父親と共にリバプール側の代理人と交渉し3年契約で合意。
しかし、そののちに合意した内容を突然変更されたことに不信感を抱き、リバプールのオファーを断ってユベントスを選んだことを2012年のリバプール公式ウェブサイトのインタビューにて明かしている。
『リバプールに加入する機会があった。3年契約に合意し、全てが完了したと考えていた。だが、2週間後、若く成長が必要との理由で同じ内容の4年契約オファーと共に彼らは戻ってきた。まだサインしていないとはいえ合意はしていたし、失望した。』
ソース:Liverpool FC/ Laudrup almost joined us - in 83
ジエゴ・コスタ
元スペイン代表/ボタフォゴ
2014年夏に3,200万ポンドでチェルシーに加入すると、得点ランキング3位となる20ゴールを挙げてプレミアリーグ優勝に貢献したが、その1年前にはリバプール加入に迫っていた。
2013年夏、当時リバプールを率いていたブレンダン・ロジャーズが獲得を望み、アトレティコ・マドリーが設定していた2,100万ポンドのリリース条項を支払う意思を示したが、給与が2倍となる2018年までの新契約にサインした。
『アトレティコを去る寸前だった。リバプールは素晴らしいチームだ。でも、あれだけハードに戦い、困難を乗り越えてポジションを得たのに、どうして去ることができただろう?アトレティコで成長することがとても大切だと考えた。』
ソース:Mirror/ Chelsea striker Diego Costa says he almost moved to Liverpool - one year before £32m move
シルヴァン・マルヴォー
元U-21フランス代表/無所属
レンヌに所属していた2011年1月頃からリバプールへの移籍が噂され始め、交渉の過程で監督がロイ・ホジソンからケニー・ダルグリッシュに代わったものの関心は衰えず、同年夏にはメディカルチェックを受けた。
ヘンダーソンに次ぐ2人目の補強となると見られていたが土壇場で破談し、10/11シーズンは怪我で10試合の出場に留まっていたことからメディカルチェックで問題が発覚したようだと報じられたものの、結局ニューカッスルと契約した本人は契約上の問題であると主張。
『詳細は言いたくないが、契約上の意見の相違があったからリバプールとは契約しなかった。(怪我の問題との報道について)ウンザリしている。目の前でメディカルチェックを受けたっていい。』
ソース:Guardian/Liverpool edge closer to signing French midfielder Sylvain Marveaux 、Click Liverpool/Marveaux Snubs Liverpool To Join Newcastle
ヘンリク・ムヒタリアン
元アルメニア代表/インテル
シャフタールに所属していた2013年夏にブレンダン・ロジャーズが強く獲得を望み、実際に連絡を取り合ったことや似た人物がホテルにいたことなどが報じられ、リバプールへの加入が有力ではと騒がれた時期もあった。
しかし、自身のフィジカル面での性質などからクロップ率いるドルトムントに加入することを決め、のちのインタビューにてリバプールとの接触やブンデスリーガを選んだ理由を明かした。
『ブレンダン・ロジャーズとは、電話で2回か3回話をした。本当に加入してほしいと言っていたし、スアレスやジェラードとプレーするチャンスがあると言っていた。気持ちの半分はリバプールに行っていたけど、もう半分はそこまで自信がなかった。ウクライナでプレーする細身の選手には、プレミアリーグとのギャップは大きい。』
ソース:Dailymail/ Manchester United star Henrikh Mkhitaryan on how Jurgen Klopp made him a star and getting over his early struggles at Old Trafford
モハメド・ディアメ
元セネガル代表/アル・スィーリーヤ
ウィガンとの契約満了によって多くのトップクラブから注目された2012年夏、ケニー・ダルグリッシュと直接会話したことでリバプール加入を決断するも、そのケニーの解任により立ち消えに。
『ケニー・ダルグリッシュに会って、来季に向けて話をした。だが、神はそのシチュエーションを終わらせると決定した。リバプールに行くと思っていたから心の中が悲しかったことは事実だが、また別のクラブに行く機会を得たし、もう大丈夫だよ。』
当時のインタビューでは上記の通り語っていたが、やはりリバプールへの移籍が実現しなかったことは心残りだったようで、ウェストハムに移籍したあとの2014年には『私の名前はまだリバプールのリストにあるはずだ。』といったコメントを残した。
ソース:Cheshire Live/Liverpool FC: Wigan midfielder Mohamed Diame says he was on the brink of a dream move to Anfield – then Kenny Dalglish was sacked、SkySports/Diame claims Liverpool interest
ジョン・テリー
元イングランド代表/引退
当時160億円とまで言われた負債を抱えたチェルシーは現金を必要としており、売り出し中の若手であったフランク・ランパードかジョン・テリーのどちらかには新契約オファーが提示されないとの噂が囁かれた。
02/03シーズン最終節のスタンフォード・ブリッジでの直接対決を終え、ウリエ監督がラップ・オブ・オナーのためにピッチを回っていたテリーに接触したが、アブラモヴィッチ氏の登場により実現しなかったと当時のアシスタントであるフィル・トンプソン氏が語った。
『チェルシーは財政難で、彼らはテリーにオファーをしないと我々は考えていた。そこで、ウリエはテリーと握手をして、「リバプールでプレーするのはどうだ?」と聞いて、ジョンからは「ぜひ、ミスター・ウリエ。」と返答があった。』
『その後、コーチの1人を選手サイドに向かわせて代理人の連絡先を聞いた。ジョンは「それ以上のものがある。個人的な連絡先だ。電話をするようリバプールに頼んでくれ。」と言ったんだ。数週間後、アブラモヴィッチがチェルシーを買収し、彼の最初の仕事はランパードやテリーと大型契約を結ぶことだった。そうして、彼の獲得から遠ざかっていった。』
ソース:GOAL/Thompson reveals how close Liverpool came to signing Chelsea legend Terry
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