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Liverpool FC Transfer Centre Another Branch

Another Branch 別支店です。ちょいと試してみたいことがあり、立ち上げました。

リバプール加入に近づいた選手たち①


リバプール加入に近づいたと噂されながらも実現しなかった選手たち。

数年前にnoteで書いた記事『成立しそうでしなかった移籍』のリメイク版のようなものですが、長くなってしまうので3つ記事に分けて且つ短くまとめて紹介します。


イェフヘン・コノプリャンカ


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ウクライナ代表/CFRクルージュ

2014年1月、当時ドニプロに所属していたコノプリャンカに対してリバプールが関心と報じられ、移籍市場最終日には1,600万ポンドとされる契約解除条項を行使すると伝えるもイホール・コロモイスキー会長が移籍を許可せず。

このウィンガーとリバプールは個人的な条件で合意しており、移籍交渉を加速させるべくメディカルチェック担当チームがウクライナに飛ぶも実らず。

当時の市場では唯一の補強と見られていたため、リバプールはイアン・エアーMDが登録期限ギリギリまでコロモイスキー会長との交渉を続けたが、同会長は最後まで書類にサインをしなかった。

ソース:Guardian/Liverpool fail in bid to sign £16m Ukraine forward Yevhen Konoplyanka


マリオ・ゴメス


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元ドイツ代表/引退

2010年夏、前年に加入したバイエルンでの45試合のうちスタメンが28試合と決してレギュラーとは言えない立ち位置だったこともあり、移籍市場最終日に届いたリバプールからのローンオファーを受け入れるつもりであったと本人がコメント。

しかし、バイエルンは重要な役割を果たす選手であるとして拒否し、その通り10/11シーズンは45試合39ゴールを記録した。

『リバプールから興味深いオファーが届いた。ローンオファーを真剣に受け止めて、家族や恋人と真剣に話し合ったよ。プレーしたかったからね。でも、バイエルンが私に将来があるという印象を与えてくれたかは、移籍はもう問題ではなかった。』


ソース:Dailymail/Bayern stopped me from joining Liverpool on deadline day


リー・ボウヤー


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元イングランド代表/引退

リーズに所属していた98/99シーズン、若手を中心とした編成を組んだオレアリー監督の下でクラブ内のプレイヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞したが、マクドナルドで乱闘騒ぎを起こすなど気性の荒さも有名で2000年1月にパキスタン人留学生への暴行に関与したとして起訴された。

結局は無罪となったものの、クラブから科された罰金やボランティア活動を拒否したことでリーズとの関係が悪化し、2002年夏にキャリアを立て直すために手を差し伸べたリバプールへの移籍に近づくも本人が土壇場でキャンセル。

『リバプール加入にとても近づいた。メディカルチェックの途中で自分に合っていないと感じた。あの時にリバプールへ行かなかったこと、私の最大の後悔だ。時を戻せるなら移籍したよ。振り返ってみると、間違った決断だった。』


ソース:Skysports/Lee Bowyer admits his biggest regret was not joining Liverpool


シェイ・ギヴン


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元アイルランド代表/引退

2013年8月末頃、当時アストンヴィラを率いたランバート監督からクラブでの未来は無いと伝えられ、正GKミニョレのバックアッパーを探していたブレンダン・ロジャーズが獲得に動いた。

移籍市場最終盤に向け、話し合いがスムーズに進めば移籍が完了するであろうとされたがヴィラは認めず。

後に出版した自伝Any Given Saturdayにて、『ヴィラが行かせてくれなかった理由は、私には明かされなかった。サラリーなのか、オーナーなのか。分かっていることは、リバプールのようなクラブに行けるチャンスは毎日のようにあるものではなく、大きな失望が残ったということ。』と書いた。

ソース:Dailymail/Liverpool close on shock switch for Given、The Athletic/Bale, Ronaldo, Terry, Fekir… the truth about the Liverpool transfers that never happened


ナビル・フェキル


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フランス代表/レアル・ベティス

リヨンに所属していた2018年夏にリバプールへの移籍が盛んに噂されると、実際にメディカルチェックも行われ、リバプール加入に向けて受けたインタビュー動画の一部を切り取ったとされる画像も出回った。

結局はメディカルチェック中に判明した膝の古傷の影響により破断したと言われたが、2021年に受けたインタビューにて代理人らと問題を抱えたことが原因だったと明かした。

『嫌な時期だった。膝の問題がリバプール行きを止めたと言われるが、それは真実ではない。代理人やアドバイザーと問題を抱えた。実現しなかったのは代理人の責任だ。リバプールは最高のクラブだから、移籍できなかったことには失望した、とても残念だった。』


ソース:Times/Agent stopped dream move to Liverpool


ファブリツィオ・ラヴァネッリ


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元イタリア代表/引退

イングランド史上3位となる金額でユベントスからミドルスブラに加入し、96/97シーズンは開幕戦リバプール戦でのハットトリックなどもあって得点ランキング6位となる16ゴールを挙げ、FAカップとリーグカップ双方で決勝に進出するもチームは降格。

のちのインタビューにて、1998年のワールドカップに向けて競争力のあるリーグでプレーするためにミドルスブラからの移籍を目指したが、プレミアリーグのビッグクラブ加入は実現しなかったとコメント。

『代理人とともに目指したマンチェスター・ユナイテッド移籍は実現しなかったが、リバプール加入は本当のチャンスだった。夏のバカンス中に当時のロイ・エヴァンス監督から連絡が来て、リバプールに来てほしいと言われて「オーケー、問題ない」と答えた。何故実現しなかったのかは分からない。』


ソース:The Athletic/Ravanelli answers your questions: Boro, Baggio, Cox, Derby, Liverpool… Dundee


ティモ・ヴェルナー


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ドイツ代表/ライプツィヒ

2020年夏、リバプールが移籍先の最有力候補とされた中、将来住む物件を見て回るためにマージーサイドを訪れ、将来を決めた状態でブンデスリーガのシーズンを終えたがっていたが、6月15日のリリース条項の期限を前に不安を募らせていったとされる。

その他の選択肢を検討する時間を残すため、リバプールに対してリリース条項を支払うかどうか決断を下す期限を設けたが、結局のところリバプールはコロナウィルスによるパンデミックもあって支払わないことを選択。

クロップはヴェルナーに電話を掛け、あくまでも金銭的な理由から獲得を見送ったのであってスポーツ面では高く評価したままであると説明したが、ヴェルナーはそれを受け入れており、両者の関係は良好なままであるとされた。

ソース:The Athletic/The inside story of how Chelsea landed Werner


ダビド・シルバ


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元スペイン代表/引退

2009年夏、ラファ・ベニテスはバレンシアに所属していたダビド・シルバ獲得に動くも実現せず、最終的にローマからアクィラーニを獲得。

当時のリバプールにはシャビ・アロンソらの売却で得た3,000万ポンド以上の資金があり、ダビド・シルバが2010年夏に2,600万ポンドでマンチェスター・シティに加入したことを考えれば十分な金額だったはずだが、ラファのスタッフだった人物はのちのインタビューにて財政的な問題によって獲得できなかったことを明かした。

『当時のオーナー(ヒックス&ジレット)がローンの利息の支払いにシャビの移籍金を望んでいたため、再投資する可能性はなかった。ラファはダビド・シルバがバレンシアのアカデミーに所属していた時にトップチームを率いていたし、そこで働いていた彼の父親をよく知っていた。資金さえあれば、間違いなく獲得していた。』


ソース:The Athletic/Alberto Aquilani at Anfield – a panic buy that began the end of Benitez’s reign


キーラン・トリッピアー


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イングランド代表/ニューカッスル

2015年夏、所属していたバーンリーのチャンピオンシップ降格が決定したことで移籍を模索した際、ブレンダン・ロジャーズ率いるリバプールが獲得に動いていた。

結局、リバプールがサウサンプトンからクラインを獲得したことでトッテナムに向かったが、ポッドキャストUndr the Coshに出演した際、加入するのは自身かクラインのどちらかと言うまでにリバプールに近づいていたことをトリッピアー本人が認めている。

『バーンリーが昇格した後のことだったと思う。トッテナム、エバートン、リバプール…彼らがクラインを獲得する前だね。リバプールに行くのは、クラインか私のどちらかだった。』


ソース:Undr the Cosh/Kieran Trippier Had To Walk On Hot Coals



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