ジェローム・シンクレア、ボビー・ダンカンに次ぐ vol.3 は、そういえば居たなあと思う方が多いであろうポール・コンチェスキー。
リバプール加入までとその後
チャールトンやウェストハムなどを経て07/08シーズンからフラムに加入すると、左サイドバックのレギュラーとしてプレーしながらもチームは第20節を終えた段階で2勝9分9敗と降格圏の18位に沈んでいた。
2007年年末にロイ・ホジソンが新監督に就任すると第35節まで19位ながらも最後の3試合を3連勝で終えて辛くもプレミアリーグに残留したが、翌08/09シーズンはプレミアリーグをクラブ史上最高位となる7位で終える快進撃により09/10シーズンのヨーロッパリーグ出場権を獲得。
そのヨーロッパリーグの決勝トーナメントでユヴェントス、ヴォルフスブルク、ハンブルガーSVを破ってこちらもクラブ史上初となるヨーロッパカップ戦決勝に進出し、決勝では延長の末にアトレティコ・マドリーに敗れたものの、ベスト16以降は全試合でフル出場を果たすなど10試合に出場し準優勝に貢献。
2010年夏、ラファ・ベニテスに代わって監督に就任したロイ・ホジソンに呼ばれる形でリバプールに加入したが、良いスタートを切れなかったどころか半年で暗転することに。
2010年9月のバーミンガム・シティ戦でリバプールでのリーグ戦デビューを果たすも負傷交代。
4日後、ヨーロッパリーグのステアウア・ブカレスト戦で4-1の勝利に貢献したことで上向くかと思いきや、11月の末トッテナム戦の終了間際の決勝点の場面でアーロン・レノンを抑えられなかったことを強く批判され、続くアンフィールドのウルヴス戦では敗れている状態で交代する際にファンから皮肉を込めた歓声が上がってしまったほど。
成績低迷により2011年1月にホジソンが解任されてケニー・ダルグリッシュが就任すると、ノッティンガム・フォレストにローン移籍したのちにレスター・シティへと売却され、18試合の出場のみでリバプールでのキャリアを終えた。
人違いで売却されたアレックス
2010年8月末、コンチェスキー獲得の取引の一部としてフィンランド人FWラウリ・ダッラ・ヴァッレとスウェーデン人MFアレクサンデル・カチャニクリッチがトレードの形でリバプールアカデミーからフラムに加入。
しかし、カチャニクリッチの売却に関しては、ロイ・ホジソンがニックネームであるアレックスを勘違いし、別の選手と思い許可した"人違い"であったとカチャニクリッチ本人が明かしている。
『リバプールにとって代わりを探すのは少し難しかったようだ。でも、フラムにいる時、サインする前にロイ・ホジソンと話したんだけど、そこで彼が違うアレックスを選んでいたという結論に達した。彼は別のアレックスをコンチェスキーの代わりにすると考えていたようだ。しかし、遅すぎた。少し面白かったよ。』
そこで初めて気付いたの?
『ああ。それから、彼はこう言ってくれた。"リバプールに戻ることを歓迎する。だが、自分の気持ちのままに行動すべきだ。"と。』
でも、戻らなかった?
『戻らなかったよ。その時にはもう気持ちを入れ替えていて、フラムに加入することを楽しみにしていたんだ。』
アンフィールドを離れる時はどんな気持ちだった?
『私の頭の中では、リバプールとはいつまでも続くと思っていた。ロイ・ホジソンが来た時、それは少し違った、大きく変わった。ベニテスがチームを去り、スタッフ皆んなが去った時は少し混乱した。ホジソンは私たち若手にはあまり見向きもせず、すぐに結果を求め、フラムのポール・コンチェスキーを欲しがった。』
当時、アカデミーにアレックスと呼ばれた選手はカチャニクリッチ以外にアレックス・クーパーしかおらず、そのクーパーも2011年夏にロス・カウンティに移籍している。
指導者転身
2015年の Dailymail のインタビューにて、『トップにいるとは言えないが、38歳(当時34歳)まではプレーしたい。懸命にトレーニングして、フィットネスを保たないといけない。それを終えたら、その道に進むかは分からないけどコーチング資格を取得する。』とコメント。
16/17シーズンまでジリンガムに所属したのち、ビラリキー・タウンなどのアマチュアリーグでプレーする傍らで2017年からアカデミーのコーチとしてウェストハムに復帰。
2020年8月にはかつて所属したビラリキー・タウンにジェイミー・オハラのコーチの1人として復帰し、選手登録もすることで3試合に出場するも12月には成績不振によりオハラと共に退団。
2022年5月には前年からアシスタントマネージャーを務めていたウェストハム・ウィメンの監督を引き継ぐことが発表され、日本代表DF 清水梨紗らを指導して12チーム中8位でフィニッシュするも、2023年に入ってからスーパーリーグで1勝しか挙げられなかったこともあって1年で退団。
飲食店経営
レスター・シティからQPRにローン移籍していた2015年、エセックスに Konch's Kafe をオープン。
地元ダゲナムで通っていた飲食店が自身も経営に乗り出すきっかけでもあったようで、また、上記の Dailymail のインタビューではコーチング資格に関するコメントに続いて飲食店経営が夢であったとも語っていた。
『常にコーヒーショップやサンドイッチショップを持ちたかった。そして飲食店オープンの案が浮上した。だから、私は考えたんだ。やらない理由はあるか?と。』
30年に亘ってケータリング業界で働いていた母キャロルさんを説得して運営に携わってもらい、自身が顔を出した時は紅茶とコーヒー作りを手伝うことで営業をスタート。
パイとマッシュ、そして下部組織を含めて2度所属したウェストハムは、第二次世界大戦中にポーランドから移住した祖父が好んで家庭の伝統としていたもの。
店内には自身が着用したウェストハムのユニフォームや自身のアイドルであった元ウェストハムのジュリアン・ディックスのユニフォーム、イングランド代表出場時に着用したユニフォームやシェリンガムとの写真、学生時代の友人でWBOフェザーウェイト級王者のニッキー・クック氏のグローブなどが飾られている。
定休日の毎週日曜日以外は6時から15時まで営業しており、口コミや料理の評価は5点満点中4.7点の高評価。
エセックスのブレントウッドを訪れることがあれば、ぜひ一度訪れてみては…。
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