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Liverpool FC Transfer Centre Another Branch

Another Branch 別支店です。ちょいと試してみたいことがあり、立ち上げました。

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リバプール加入に近づいた選手たち③


リバプール加入に近づいたと噂されながらも実現しなかった選手たち。

数年前にnoteで書いた記事『成立しそうでしなかった移籍』のリメイク版のようなものですが、長くなってしまうので3つ記事に分けて且つ短くまとめて紹介します。

その①はこちらから → リバプール加入に近づいた選手たち①
その②はこちらから → リバプール加入に近づいた選手たち②

クリント・デンプシー


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元アメリカ代表/引退

2012年夏、デンプシー自身はフラムと合意したアストンヴィラに対してリバプール移籍しか望んでいないと伝えていたが、500万ポンドの要求に対してリバプールは300万ポンドしか提示しなかったとされる。

当時、リバプールは加入して1年程しか経過していなかったヘンダーソンをトレードでフラムに引き渡すことで減額を狙うも実現せず、ヘンダーソン自身はブレンダン・ロジャーズからフラム移籍の可能性を告げられた時はとても悲しい気持ちになったが、自身の価値を証明するために強くなれたとコメント。

『アンフィールドでのEL予選ハーツ戦を控えていた。ホテルでミーティングをしていたら監督が話をしたがっていると呼び出された。ブレンダン・ロジャーズにとっては、ただの会話に過ぎなかった。フラムへの移籍は望んでいなかったし、嫌だった。あの時はとても暗い気持ちになったが、逆境も挫折も必要だ。』

『立ち直ることで、彼らが間違っていると証明したくなり、より強くなれる。あの日以来、私の心には何かがあった。いずれ彼のチームに入れることを監督に証明する必要があった。彼のチーム、このフットボールクラブに入るためならどんなことでもするつもりだったし、彼らが間違っていることを証明するつもりだった。最終的に私は成し遂げた。』


ソース:Guardian/ Liverpool’s failure to sign Clint Dempsey shows financial constraints、Guardian/ Jordan Henderson: 'I was in a very dark place. It made me a lot stronger'


ロイク・レミー


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元フランス代表/引退

2014年夏、QPRが設定した850万ポンドの契約解除条項をリヴァプールが行使し、アメリカでのプレシーズンツアーに合流するもメディカルチェック中に問題が発覚し破談

後日のレミーのコメントによれば、かつて抱えていた心臓の異常を不安視したリヴァプールが専門家に意見を求め、その専門家がプレーを続けられるか止めるべきか100%言い切れないと答えたことが最も大きな理由とされる。

『メディカルチェックは全て問題なく終わったが、リバプールは私の心臓が大丈夫であるとの保証を求めた。意見を求められた専門家がプレーを続けられるか止めるべきか言い切れないと言った。理解できなかったよ。私が来る前からリバプールは心臓の件を知っていたのにね。』


ソース:GOAL/ Remy reveals why Liverpool move fell through


シモン・サブローザ


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元ポルトガル代表/引退

2005年夏、リバプールは最大1,200万ポンドとなるオファーを提示したが、当時所属していたベンフィカが要求を増額した若しくは単に許可をしなかったと2通りの報道がなされた。

のちのインタビューにて、代表合流中にリバプールからオファーが届いたことで呼び出された際、本人は移籍が実現するから呼び出されたのだと考えて当時ポルトガル代表を率いていたスコラーリ監督に交渉のために離脱する許可を求めたと明かしていた。

『私が考えていたのは、全てリバプールへの移籍についてだった。代表に合流していて、リバプールからオファーが届いたからオフィスに戻るようにと呼び出されたのを覚えている。ルイス・フェリペ・スコラーリは交渉に行く許可を与えてくれたが、オフィスに着いた時に言われたのは「不可能だ。リバプールに向かう飛行機に乗る許可は与えない。」ということだった。』


ソース:Liverpool Echo/ Benfica winger explains why he was denied Liverpool transfer after manager told him he could leave


ガブリエル・エインセ


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元アルゼンチン代表/引退

2007年夏、当時マンチェスター・ユナイテッドに所属していたエインセはサー・アレックスからの信頼を感じられず、680万ポンドの契約解除条項を行使する意思を見せたリバプールへの移籍を希望したが、当時マンチェスター・ユナイテッドのCEOだったデイヴィッド・ギル氏は国内のライバルに加入しないことが移籍を認める条件だったと主張。

リバプールとエインセはマンチェスター・ユナイテッドからの書類にはそんな条件は含まれていないとして異議申し立てを行うもプレミアリーグの仲裁委員会に退けられ、結局レアル・マドリーに移籍したが、本人は全く納得できていないとのコメントを残した。

『私の戦いは、どのクラブとも交渉できる自由のためにある。ユナイテッドは、私がビッグクラブの1つに移籍することを望んでいなかった。しかし、このアンチ・リバプール条項は信じられないね。』


ソース:talk SPORT/ I was so angry Man United wouldn’t grant Liverpool transfer that I got lawyers involved


デレ・アリ


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元イングランド代表/エバートン

MKドンズに所属していた2016年夏、当時リバプールを率いていたブレンダン・ロジャーズはリバプールファンとして知られていた彼の獲得を確信していたとコメントし、デレ・アリ本人も接触したことやジェラードがヒーローだったことを明かしている。

ブレンダン・ロジャーズ

『我々は、彼を獲得したと考えていた。MKドンズの監督が連れて来てくれて、私はデレ本人や彼の両親と話をした。ホテルで数時間ともに過ごしたが、彼はリバプールに来たがっていたよ。契約が成立したと思っていたが、トッテナムに行ってしまった。彼はそこでうまくプレーしていたね。』


デレ・アリ

『トッテナムに加入する前、まだMKドンズに所属していた時にリバプールと接触した。私のヒーローがジェラードだったと知っていてか、会いに行こうと言われたんだけど、もう彼は寝てしまっていた。次の日に試合があったから、理解できることだよ。』


ソース:ONE FOOTBALL/ HOW DELE ALLI ALMOST JOINED LIVERPOOL OVER TOTTENHAM


ネマニャ・ヴィディッチ


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元セルビア代表/引退

マンチェスター・ユナイテッドで多くのタイトルを獲得し、キャプテンを務めることもあったヴィディッチだが、リオ・ファーディナンドのポッドキャストにて2005年12月の出来事を振り返った。

スパルタク・モスクワに所属していた当時、マンチェスター・ユナイテッドとともにリバプールからもアプローチを受けていたが、ラファ・ベニテスからは最初の接触から数週間に亘って折り返しの連絡がなく、その間にマンチェスター・ユナイテッドへの移籍が進展した。

『ユナイテッドなどのクラブとの最初の接触は2005年12月だった。リバプールも含まれていて、ラファ・ベニテスと話した。私の英語が拙かったから、妻のアナがほとんど話していたんだけどね。イングランドに来たいかとか色々聞かれて、全てが最高だった。その後、数週間は連絡が無かったんだ。』

『ファギーから連絡が来て、彼は「半年から1年間程、君を見ていた。プレーが気に入った。良い補強になる。加入したいか?」と言っていた。私がもちろんと答えたら、彼は万事解決だと言って、その1週間後にはもう私はマンチェスターにいた。』


ソース:Rio Ferdinand Presents FIVE/Vidic Exclusive: How I Signed For Man Utd | Partnership With Rio | Winning The Champions League


エドウィン・ファン・デル・サール


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元オランダ代表/引退

先に紹介したヴィディッチとともにチャンピオンズリーグやプレミアリーグ3連覇など、マンチェスター・ユナイテッドに多くのタイトルをもたらしたゴールキーパー。

2019年に受けたドイツメディアのインタビューにてブンデスリーガからオファーはあったのか?と聞かれ、ユベントスに所属していた2001年夏にドルトムントとリバプールに移籍する可能性があったが、結局はフラム加入を選択したことを明かした。

『2つの選択肢があり、ドルトムントとリバプールに移籍することができた。でも、2つのクラブが契約に少し躊躇したことで、結局はフラムを選択した。』


ソース:t-online/Torhüterlegende: "Ich hätte nach Dortmund wechseln können"


フローラン・マルダ


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元フランス代表/引退

2007年夏、当時所属していたリヨンを率いていたのは以前にリバプールを率いていたジェラール・ウリエであり、そのウリエに日頃からプレミアリーグを経験すべきと言われていたことや同氏がリバプールへの移籍を押し進めようとしたことを明かした。

但し、エッシェンやマケレレなどリヨンでともにプレーしていた選手やフランス代表選手が多くいたことからチェルシーの試合を観戦したこともあり、同クラブへの移籍を望んでいた。

『最初に関心を示したのはリバプールで、当時のリヨンの監督はリバプールを長く率いたジェラール・ウリエだった。関心を聞いて彼のオフィスに行った。面白かったよ。リバプールをとても愛していた彼はリック・パリー(当時リバプールCEO)に連絡をして、私の契約交渉を始めたんだ。本当に、本当に移籍に近づいた。』

『次のクラブはレアル・マドリーだったけど、本当に行きたかったのはチェルシーだった。エッシェンやマケレレなどを知っていたし、時々彼らと試合を観戦していたんだ。』


ソース:The Obi One Podcast/From Training Ground Fights to ‘Bullying’ Drogba | Malouda Reveals All | The Obi One Podcast Ep.4


マルセル・デサイー


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元フランス代表/引退

ACミランでチャンピオンズリーグ優勝などを経験し、更にフランス代表としてワールドカップ制覇を経験した1998年夏、新たな挑戦のを望んでイングランドへの移籍を模索。

リバプールとチェルシーからオファーが届いたが、子供の生活を含むライフスタイルの違いなど家族と相談した結果としてチェルシーを選択した。

『1998年、良いオファーをくれたリバプール移籍に興味があった。でも、あの地域には子供たちのためのフランス語の学校が無かったし、ロンドンと比べた時のライフスタイルが問題になった。ライフスタイルがチェルシーを選んだ理由だね。』


ソース:Boyle Sports via talk SPORT/ I won the Champions League, wanted Liverpool transfer but my wife stopped me and joined Chelsea instead


ガレス・ベイル


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元ウェールズ代表/引退

05/06シーズン、サウサンプトンアカデミーとボルトンアカデミーとの試合を観戦していたリバプールのスカウトの目的はデイヴィッド・マクゴールドリックの視察だったが、実際に目を引いたのはサウサンプトンのチームメイトだったガレス・ベイルであったと当時のスカウトチームの1人がコメント。

リバプールは、当時サウサンプトンにローン移籍していたダレン・ポッターとのトレードを提案するも、ポッターに加えて金銭を含めることを要求されたため実現せず。

『あのレフトバックは際立っていた。我々はリバプールに戻り、マクゴールドリックではなくベイルと呼ばれる16歳と契約すべきだと言った。その時はまだ誰も彼の話をしていなかったね。』

『サウサンプトンは納得できなかったようだ。ベイルはスカラシップ契約を得たばかりだった。ポッターは既にプロとして確立していたが、ベイルはまだ学ぶべきことが多い子供だったんだ。』


ソース:The Athletic/ Bale, Ronaldo, Terry, Fekir… the truth about the Liverpool transfers that never happened



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リバプール加入に近づいた選手たち②


リバプール加入に近づいたと噂されながらも実現しなかった選手たち。

数年前にnoteで書いた記事『成立しそうでしなかった移籍』のリメイク版のようなものですが、長くなってしまうので3つ記事に分けて且つ短くまとめて紹介します。

その①はこちらから → リバプール加入に近づいた選手たち①


ダニ・アウヴェス


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元ブラジル代表/無所属(性的暴行の疑いにより収監中)

セビージャに所属していた2006年夏、ラファ・ベニテス率いるリバプールと合意に達したが、900万ポンドとされた移籍は土壇場で破談したと過去のインタビューにて明かしていた。

その後、リバプールはペナントに加えて同じポジションのアルベロアを獲得したが、ダニ・アウヴェス曰く破談となった理由は不明。

『リバプールとはほぼ合意していた。でも、どんな理由であれ、何故破談したのかは分からない。全ての交渉を自分で行っていた訳ではないからね。』


ソース:Four Four Two/In the mag: Gabriel Jesus! Alvaro Morata! Dani Alves One-on-One! 30 Greatest Premier League Strikers!


テディ・シェリンガム


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元イングランド代表/引退

95/96シーズンにはファウラーと2人で55ゴールを記録したスタン・コリモアだが、96/97シーズンには2桁ゴールを記録したものの、そのファウラーとのコンビネーションが今ひとつに。

当時リバプールを率いていたロイ・エヴァンスはコリモアの退団と新たな相棒としてシェリンガム獲得を望み、本人とは個人的なやり取りで加入することで合意に達したが、役員会からの信頼が低下していたエヴァンスの要求は『シェリンガムは歳を取りすぎている(当時31歳)』として却下された。

結局はマンチェスター・ユナイテッドに移籍してプレミアリーグ3連覇に貢献したほか、3冠(プレミアリーグ、FAカップ、チャンピオンズリーグ)を達成した98/99シーズンのCL決勝バイエルン戦では90+1分に同点ゴールに加え、90+3分のスールシャールの決勝ゴールのきっかけを作った。

ソース:The Athletic/Liverpool's Spice Boys


ジョーイ・バートン


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元イングランド代表/引退

マンチェスター・シティに所属していた2004年、当時リバプールを率いていたジェラール・ウリエがジェラードと共に中盤に並べる選手として獲得を望んだ。

しかし、同年夏に監督がウリエからラファ・ベニテスに代わると、リバプールはレアル・ソシエダに所属していたシャビ・アロンソの獲得に動き出したことで話は流れた。

のちに、バートン本人は自伝にて『2004年、スティーヴン・ジェラードが私を獲得するよう働きかけたと聞いている。メルウッドでジェラール・ウリエに会い、全てが大筋で合意していた。取引は完了に近づいたが、彼が解任された後に再び話題になることはなかった。』と書いている。

ソース:Dailypost/How Joey Barton came close to signing at Liverpool FC, who opted for Xabi Alonso instead


アレックス・テイシェイラ


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元U-20ブラジル代表/ヴァスコ・ダ・ガマ

2015年10月にリバプールの監督に就任したクロップは、リバプールで迎える最初の移籍市場での最初の大型補強選手として獲得を望んだ。

2016年1月、リバプールは当時所属していたシャフタールに正式オファーを提示したものの拒否された、シャフタールが要求する3,500万ポンドを高すぎると判断しリバプールが支払いを拒んだという2通りの報道があったが、 いずれにせよ実現せず。

当時、テイシェイラ自身は完全に移籍に乗り気で、『何故かは分からないがリバプールからの正式オファーをチームが断った。』、『代理人はまだ移籍を実現させるためにできる限りのことをしてくれている。』、『コウチーニョとは10歳から一緒にプレーしていたんだ。』と話していた。

ソース:The Athletic/When Klopp wanted to make Alex Teixeira his first major signing at Liverpool


ミカエル・ラウドルップ


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元デンマーク代表/引退

1983年夏、当時ブレンビーに所属していたラウドルップはずっとファンであったリバプールからオファーを受け、父親と共にリバプール側の代理人と交渉し3年契約で合意。

しかし、そののちに合意した内容を突然変更されたことに不信感を抱き、リバプールのオファーを断ってユベントスを選んだことを2012年のリバプール公式ウェブサイトのインタビューにて明かしている。

『リバプールに加入する機会があった。3年契約に合意し、全てが完了したと考えていた。だが、2週間後、若く成長が必要との理由で同じ内容の4年契約オファーと共に彼らは戻ってきた。まだサインしていないとはいえ合意はしていたし、失望した。』


ソース:Liverpool FC/ Laudrup almost joined us - in 83


ジエゴ・コスタ


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元スペイン代表/ボタフォゴ

2014年夏に3,200万ポンドでチェルシーに加入すると、得点ランキング3位となる20ゴールを挙げてプレミアリーグ優勝に貢献したが、その1年前にはリバプール加入に迫っていた。

2013年夏、当時リバプールを率いていたブレンダン・ロジャーズが獲得を望み、アトレティコ・マドリーが設定していた2,100万ポンドのリリース条項を支払う意思を示したが、給与が2倍となる2018年までの新契約にサインした。

『アトレティコを去る寸前だった。リバプールは素晴らしいチームだ。でも、あれだけハードに戦い、困難を乗り越えてポジションを得たのに、どうして去ることができただろう?アトレティコで成長することがとても大切だと考えた。』


ソース:Mirror/ Chelsea striker Diego Costa says he almost moved to Liverpool - one year before £32m move


シルヴァン・マルヴォー


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元U-21フランス代表/無所属

レンヌに所属していた2011年1月頃からリバプールへの移籍が噂され始め、交渉の過程で監督がロイ・ホジソンからケニー・ダルグリッシュに代わったものの関心は衰えず、同年夏にはメディカルチェックを受けた。

ヘンダーソンに次ぐ2人目の補強となると見られていたが土壇場で破談し、10/11シーズンは怪我で10試合の出場に留まっていたことからメディカルチェックで問題が発覚したようだと報じられたものの、結局ニューカッスルと契約した本人は契約上の問題であると主張。

『詳細は言いたくないが、契約上の意見の相違があったからリバプールとは契約しなかった。(怪我の問題との報道について)ウンザリしている。目の前でメディカルチェックを受けたっていい。』


ソース:Guardian/Liverpool edge closer to signing French midfielder Sylvain Marveaux 、Click Liverpool/Marveaux Snubs Liverpool To Join Newcastle


ヘンリク・ムヒタリアン


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元アルメニア代表/インテル

シャフタールに所属していた2013年夏にブレンダン・ロジャーズが強く獲得を望み、実際に連絡を取り合ったことや似た人物がホテルにいたことなどが報じられ、リバプールへの加入が有力ではと騒がれた時期もあった。

しかし、自身のフィジカル面での性質などからクロップ率いるドルトムントに加入することを決め、のちのインタビューにてリバプールとの接触やブンデスリーガを選んだ理由を明かした。

『ブレンダン・ロジャーズとは、電話で2回か3回話をした。本当に加入してほしいと言っていたし、スアレスやジェラードとプレーするチャンスがあると言っていた。気持ちの半分はリバプールに行っていたけど、もう半分はそこまで自信がなかった。ウクライナでプレーする細身の選手には、プレミアリーグとのギャップは大きい。』


ソース:Dailymail/ Manchester United star Henrikh Mkhitaryan on how Jurgen Klopp made him a star and getting over his early struggles at Old Trafford


モハメド・ディアメ


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元セネガル代表/アル・スィーリーヤ

ウィガンとの契約満了によって多くのトップクラブから注目された2012年夏、ケニー・ダルグリッシュと直接会話したことでリバプール加入を決断するも、そのケニーの解任により立ち消えに。

『ケニー・ダルグリッシュに会って、来季に向けて話をした。だが、神はそのシチュエーションを終わらせると決定した。リバプールに行くと思っていたから心の中が悲しかったことは事実だが、また別のクラブに行く機会を得たし、もう大丈夫だよ。』


当時のインタビューでは上記の通り語っていたが、やはりリバプールへの移籍が実現しなかったことは心残りだったようで、ウェストハムに移籍したあとの2014年には『私の名前はまだリバプールのリストにあるはずだ。』といったコメントを残した。

ソース:Cheshire Live/Liverpool FC: Wigan midfielder Mohamed Diame says he was on the brink of a dream move to Anfield – then Kenny Dalglish was sacked、SkySports/Diame claims Liverpool interest


ジョン・テリー


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元イングランド代表/引退

当時160億円とまで言われた負債を抱えたチェルシーは現金を必要としており、売り出し中の若手であったフランク・ランパードかジョン・テリーのどちらかには新契約オファーが提示されないとの噂が囁かれた。

02/03シーズン最終節のスタンフォード・ブリッジでの直接対決を終え、ウリエ監督がラップ・オブ・オナーのためにピッチを回っていたテリーに接触したが、アブラモヴィッチ氏の登場により実現しなかったと当時のアシスタントであるフィル・トンプソン氏が語った。

『チェルシーは財政難で、彼らはテリーにオファーをしないと我々は考えていた。そこで、ウリエはテリーと握手をして、「リバプールでプレーするのはどうだ?」と聞いて、ジョンからは「ぜひ、ミスター・ウリエ。」と返答があった。』

『その後、コーチの1人を選手サイドに向かわせて代理人の連絡先を聞いた。ジョンは「それ以上のものがある。個人的な連絡先だ。電話をするようリバプールに頼んでくれ。」と言ったんだ。数週間後、アブラモヴィッチがチェルシーを買収し、彼の最初の仕事はランパードやテリーと大型契約を結ぶことだった。そうして、彼の獲得から遠ざかっていった。』


ソース:GOAL/Thompson reveals how close Liverpool came to signing Chelsea legend Terry



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リバプール加入に近づいた選手たち①


リバプール加入に近づいたと噂されながらも実現しなかった選手たち。

数年前にnoteで書いた記事『成立しそうでしなかった移籍』のリメイク版のようなものですが、長くなってしまうので3つ記事に分けて且つ短くまとめて紹介します。


イェフヘン・コノプリャンカ


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ウクライナ代表/CFRクルージュ

2014年1月、当時ドニプロに所属していたコノプリャンカに対してリバプールが関心と報じられ、移籍市場最終日には1,600万ポンドとされる契約解除条項を行使すると伝えるもイホール・コロモイスキー会長が移籍を許可せず。

このウィンガーとリバプールは個人的な条件で合意しており、移籍交渉を加速させるべくメディカルチェック担当チームがウクライナに飛ぶも実らず。

当時の市場では唯一の補強と見られていたため、リバプールはイアン・エアーMDが登録期限ギリギリまでコロモイスキー会長との交渉を続けたが、同会長は最後まで書類にサインをしなかった。

ソース:Guardian/Liverpool fail in bid to sign £16m Ukraine forward Yevhen Konoplyanka


マリオ・ゴメス


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元ドイツ代表/引退

2010年夏、前年に加入したバイエルンでの45試合のうちスタメンが28試合と決してレギュラーとは言えない立ち位置だったこともあり、移籍市場最終日に届いたリバプールからのローンオファーを受け入れるつもりであったと本人がコメント。

しかし、バイエルンは重要な役割を果たす選手であるとして拒否し、その通り10/11シーズンは45試合39ゴールを記録した。

『リバプールから興味深いオファーが届いた。ローンオファーを真剣に受け止めて、家族や恋人と真剣に話し合ったよ。プレーしたかったからね。でも、バイエルンが私に将来があるという印象を与えてくれたかは、移籍はもう問題ではなかった。』


ソース:Dailymail/Bayern stopped me from joining Liverpool on deadline day


リー・ボウヤー


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元イングランド代表/引退

リーズに所属していた98/99シーズン、若手を中心とした編成を組んだオレアリー監督の下でクラブ内のプレイヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞したが、マクドナルドで乱闘騒ぎを起こすなど気性の荒さも有名で2000年1月にパキスタン人留学生への暴行に関与したとして起訴された。

結局は無罪となったものの、クラブから科された罰金やボランティア活動を拒否したことでリーズとの関係が悪化し、2002年夏にキャリアを立て直すために手を差し伸べたリバプールへの移籍に近づくも本人が土壇場でキャンセル。

『リバプール加入にとても近づいた。メディカルチェックの途中で自分に合っていないと感じた。あの時にリバプールへ行かなかったこと、私の最大の後悔だ。時を戻せるなら移籍したよ。振り返ってみると、間違った決断だった。』


ソース:Skysports/Lee Bowyer admits his biggest regret was not joining Liverpool


シェイ・ギヴン


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元アイルランド代表/引退

2013年8月末頃、当時アストンヴィラを率いたランバート監督からクラブでの未来は無いと伝えられ、正GKミニョレのバックアッパーを探していたブレンダン・ロジャーズが獲得に動いた。

移籍市場最終盤に向け、話し合いがスムーズに進めば移籍が完了するであろうとされたがヴィラは認めず。

後に出版した自伝Any Given Saturdayにて、『ヴィラが行かせてくれなかった理由は、私には明かされなかった。サラリーなのか、オーナーなのか。分かっていることは、リバプールのようなクラブに行けるチャンスは毎日のようにあるものではなく、大きな失望が残ったということ。』と書いた。

ソース:Dailymail/Liverpool close on shock switch for Given、The Athletic/Bale, Ronaldo, Terry, Fekir… the truth about the Liverpool transfers that never happened


ナビル・フェキル


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フランス代表/レアル・ベティス

リヨンに所属していた2018年夏にリバプールへの移籍が盛んに噂されると、実際にメディカルチェックも行われ、リバプール加入に向けて受けたインタビュー動画の一部を切り取ったとされる画像も出回った。

結局はメディカルチェック中に判明した膝の古傷の影響により破断したと言われたが、2021年に受けたインタビューにて代理人らと問題を抱えたことが原因だったと明かした。

『嫌な時期だった。膝の問題がリバプール行きを止めたと言われるが、それは真実ではない。代理人やアドバイザーと問題を抱えた。実現しなかったのは代理人の責任だ。リバプールは最高のクラブだから、移籍できなかったことには失望した、とても残念だった。』


ソース:Times/Agent stopped dream move to Liverpool


ファブリツィオ・ラヴァネッリ


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元イタリア代表/引退

イングランド史上3位となる金額でユベントスからミドルスブラに加入し、96/97シーズンは開幕戦リバプール戦でのハットトリックなどもあって得点ランキング6位となる16ゴールを挙げ、FAカップとリーグカップ双方で決勝に進出するもチームは降格。

のちのインタビューにて、1998年のワールドカップに向けて競争力のあるリーグでプレーするためにミドルスブラからの移籍を目指したが、プレミアリーグのビッグクラブ加入は実現しなかったとコメント。

『代理人とともに目指したマンチェスター・ユナイテッド移籍は実現しなかったが、リバプール加入は本当のチャンスだった。夏のバカンス中に当時のロイ・エヴァンス監督から連絡が来て、リバプールに来てほしいと言われて「オーケー、問題ない」と答えた。何故実現しなかったのかは分からない。』


ソース:The Athletic/Ravanelli answers your questions: Boro, Baggio, Cox, Derby, Liverpool… Dundee


ティモ・ヴェルナー


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ドイツ代表/ライプツィヒ

2020年夏、リバプールが移籍先の最有力候補とされた中、将来住む物件を見て回るためにマージーサイドを訪れ、将来を決めた状態でブンデスリーガのシーズンを終えたがっていたが、6月15日のリリース条項の期限を前に不安を募らせていったとされる。

その他の選択肢を検討する時間を残すため、リバプールに対してリリース条項を支払うかどうか決断を下す期限を設けたが、結局のところリバプールはコロナウィルスによるパンデミックもあって支払わないことを選択。

クロップはヴェルナーに電話を掛け、あくまでも金銭的な理由から獲得を見送ったのであってスポーツ面では高く評価したままであると説明したが、ヴェルナーはそれを受け入れており、両者の関係は良好なままであるとされた。

ソース:The Athletic/The inside story of how Chelsea landed Werner


ダビド・シルバ


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元スペイン代表/引退

2009年夏、ラファ・ベニテスはバレンシアに所属していたダビド・シルバ獲得に動くも実現せず、最終的にローマからアクィラーニを獲得。

当時のリバプールにはシャビ・アロンソらの売却で得た3,000万ポンド以上の資金があり、ダビド・シルバが2010年夏に2,600万ポンドでマンチェスター・シティに加入したことを考えれば十分な金額だったはずだが、ラファのスタッフだった人物はのちのインタビューにて財政的な問題によって獲得できなかったことを明かした。

『当時のオーナー(ヒックス&ジレット)がローンの利息の支払いにシャビの移籍金を望んでいたため、再投資する可能性はなかった。ラファはダビド・シルバがバレンシアのアカデミーに所属していた時にトップチームを率いていたし、そこで働いていた彼の父親をよく知っていた。資金さえあれば、間違いなく獲得していた。』


ソース:The Athletic/Alberto Aquilani at Anfield – a panic buy that began the end of Benitez’s reign


キーラン・トリッピアー


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イングランド代表/ニューカッスル

2015年夏、所属していたバーンリーのチャンピオンシップ降格が決定したことで移籍を模索した際、ブレンダン・ロジャーズ率いるリバプールが獲得に動いていた。

結局、リバプールがサウサンプトンからクラインを獲得したことでトッテナムに向かったが、ポッドキャストUndr the Coshに出演した際、加入するのは自身かクラインのどちらかと言うまでにリバプールに近づいていたことをトリッピアー本人が認めている。

『バーンリーが昇格した後のことだったと思う。トッテナム、エバートン、リバプール…彼らがクラインを獲得する前だね。リバプールに行くのは、クラインか私のどちらかだった。』


ソース:Undr the Cosh/Kieran Trippier Had To Walk On Hot Coals



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リバプールとの噂もあったブラント、プレミア再挑戦


プレミア再挑戦の噂


Mirrorなどによると、1月の市場に向けてアーセナルとニューカッスルがドルトムントのユリアン・ブラントに関心。

ニューカッスルはブラントのゴールもあって敗れた先日の試合を含めてチャンピオンズリーグでの2度の対戦時によく観察しており、アーセナルも同様に長らく追っているが、現時点でドルトムントは2,200万ポンド程の金額を確約したとされる両チームのどんな動きも拒否している。

昨夏に2026年まで契約を延長したことや、まだグループステージとはいえチャンピオンズリーグで悪くないスタートを切ったドルトムントが1月に売るとは思えないが、それもプレミアリーグのビッグクラブからの関心を止める材料にはならず。

ドルトムントで5シーズン目を迎えた今季、ブラントはブンデスリーガでの11試合で4ゴール4アシストと好調なスタートを切った。


クロップの下でプレーしたかった


現時点で噂はないものの、リバプールが長きに亘って注目していると度々名前が挙がるブラントだが、クロップが彼と契約する可能性があったと知られているのはドルトムントを率いていた2013年とリバプールを率いていた2017年の2回。

今年7月にThe Athleticのインタビューに応じた際、ブラント本人が当時の感情について明かした。

ヴォルフスブルクに所属していた2013年、当時はまだ18歳。

ドルトムントは本当に成功したチームで、とても均一性が高い集まりだった。2度のブンデスリーガ優勝(2011年と2012年)、チャンピオンズリーグのファイナリスト(2013年)。彼らに少し畏敬の念を抱いていた。「十分な出場時間を得られるだろうか?レバークーゼンに移籍したほうがいいかもしれない。」と考えたんだ。


2017年にはリバプールに加入するチャンスがあったものの、サラーが加入する可能性があったことも認識しており、正しい時期ではないと判断したとのこと。

『リバプールへの移籍という次のステップに進むチャンスはあったんだけど、時期が合わなかったんだ。当時、彼らがモー・サラーにも注目していたことは知っていた。クロッポのためにプレーしたかったのに、残念だよ。』



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ドクとの交渉許可を得ていた


明確な交渉許可


現在マンチェスター・シティで大活躍しているジェレミー・ドク。

ベルギーメディアHet Laatste Nieuwsを引用したSport Witnessの記事によると、各国のビッグクラブから注目されていた2018年、リバプールは15歳のドクが所属していたアンデルレヒトから明確な交渉許可を得ていた。

2018年1月、ドクのエージェンシーがステラ・グループに決まり、リバプールを含めてアーセナル、マンチェスター・シティ、チェルシー、アヤックス、PSVなどが獲得に動いたが、ドクはアヤックスに続いてアンフィールドやリバプールの施設を見学。

学校や家、魅力的な給与や契約などについて説明を受けて圧倒された両親が子供の将来はリバプールにあると見ているとさえ言われ、アンデルレヒトもリバプール移籍を覚悟していると報じられた。

なお、この交渉許可に関しては2021年6月にGuardianも報じており、その記事でらアレクサンダル・ミトロヴィッチを巡るニューカッスルとの交渉が停滞したことを受け、代わりにマルコヴィッチ獲得を目指したアンデルレヒトがリバプールからの譲歩を手に入れるために同意したものとされている。


マネの言葉


下部組織を率いていたジェラードとの面会、サラーからユニフォームを手渡され、ワイナルドゥムや同胞のシモン・ミニョレらと会話をする機会を得たこと、そして2021年3月にフランスメディアOuest Franceのインタビューではマネとのやり取りが最も印象に残っていたことを明かしていた。

『プロ契約を結べるようになる16歳になろうとしていた時、たくさんのクラブが見に来てくれた。最も具体的な関心があったから皆んなリバプールについて話すけど、アーセナルとチェルシーも話があった。』

『ユルゲン、マネ、ワイナルドゥムと話すことができた。ジェラードもだね。マネとたくさん話したけど、フットボールについてではなくて、全てについて話したよ。まず年齢を聞かれて、「お母さんに優しくしないといけない」と言われたよ。まさに交流であり、人間関係というものだった。まだ若いこと、時間があることを教えてくれた。説得するためでも、「ここに来れば成功できる」というためでもなかった。』

『慎重に行くことを選択した。自分の軌跡がどうあるべきか、どのルートを通っていくべきか、そしてあの時はアンデルレヒトに残るべきであることを理解していた。後悔しているかと聞かれたら、いつもノーとすぐに答えている。15歳の時にリバプールが見に来てくれたなら、また来てくれるからだ。あとは自分が良いプレーをするかどうかだ。』



アンデルレヒト残留


諦めていなかったアンデルレヒトの育成部門責任者のジャン・キンダーマンス氏は、同クラブの下部組織出身であるロメル・ルカクに依頼して残留を促すビデオを撮影。

まずはベルギーで活躍することと諭され、ルカク 自身がベルギーで得点王になってからチェルシーへ渡ったという実績を残していたこともあり、ドクはアンデルレヒトとのプロ契約締結を選択。

2018年11月にはシント=トロイデン戦でトップチームデビューを飾り、2019年にヴァンサン・コンパニが監督に就任したことや財政難から資金を大物獲得ではなくユース育成に注ぎ込んだことで成長が加速。

2020年10月、2シーズン連続でヨーロッパカップ戦出場権を逃し、財政的な問題を抱えたアンデルレヒトはクラブ史上最高額となる2,700マンチェスターユーロでレンヌに売却した。




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